熊本にタージマハルがあるらしい(1)

どうも、とんぐろです。投稿2回目です。

 

 

タージマハル!

インドにタージマハルっていう世界遺産がありますよね?インドを代表するあの真っ白で豪華なラウンドフォルムな建築物。

 

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17世紀、インドではムガル帝国の時代にそれは建てられたそうです。ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンが、亡くなった愛妃ムスターズ・マハルを思って建設した大理石の墓廟、それがタージマハルらしい…広大な敷地に広がる庭園、大きくそびえ立つ墓廟、これが墓なんですよね、建設を終えるまでに20年以上の歳月がかかったらしく、建築費用で国の経済が傾いたとか。皇帝の奥様への愛情がいかに深いものだったのかを物語ると同時に、当時ムガル帝国が非常に莫大な権力を有していたことをうかがえます。

 

 

皇帝が奥様を弔うために莫大な権力使って作らせたタージマハル、もちろんインドに行かないと見れません。まあ、あたりまえ。しかし、日本でもその姿を見ることができるとしたら?もちろん、インターネットで調べるとかではなく、実際にこの目で実物を見るという形で。

 

 

「アホか、そんなわけない」と、「だってタージマハルはインドにあるのだから、日本にあるわけないじゃない、しっかりしてくれよとんぐろ」と、そう思われるのも無理はない。いや、どうやら日本でもタージマハルっぽいものがあるらしい。

 

 

そこで、今日のタイトルはこちら。

 

 

 

 

 

【熊本に「タージマハル」があるらしい】

 

 

 

 

 

以下、熊本のタージマハルの探訪記です。

 

 

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花岡山。

 

 

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花岡山は、熊本市西区にある標高132メートルほどの山で、熊本駅の北西に位置している。熊本駅新幹線口側に立てば、花岡山を見ることができる。

 

花岡山では山頂まで道路が整備されているので、車で気軽に足を運ぶことができる。近隣住民にとっては山頂までの道のりは散歩ルートになっているようで、若者から年寄りまでいろんな人が散歩したりランニングする姿を見かける。

 

花岡山は標高こそあまり高くはないものの、山頂からは熊本市内一帯を見渡すことができる絶景スポットだ。花岡山の頂きから見下ろす熊本市街のパノラマの風景を見ていると、地上から見れば殺風景に見えるビルが、山頂からだと窮屈に並べられた建物が一種の風景画として目の前に立ち現れる。とんぐろはこの景色を見てそう思った。「長崎の100万ドルの夜景の方が花岡山のそれより綺麗だけどね」と、不躾に熊本県民らしからぬことを心の中でひとりごちっていたが、それでも熊本市内の景色を一望できる場所としては貴重な場所であることに間違いはあるまい。そしてこの夜景を見ようと多くのカップルがここを訪れるため、熊本では花岡山はデートスポットとなっている。

 

 

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(写真ではなかなか夜景が綺麗に伝わらないのが残念!ぜひググって見てください)

 

 

さて、熊本駅新幹線口側から花岡山を見てみると、山頂の木々から何か白っぽい建物があることに気づく。上記の花岡山の山頂付近にご注目していただきたい。

 

 

地上から花岡山からちょこんと見える白い屋根っぽいもの、いかにもタージマハルの頭のように見える…!タージマハルの頭は非常に特徴的!トングロの力不足でうまく言い表すことができないけども、例えるならば、

 

 

永沢くんの頭…

玉ねぎのフォルム…

 

 

自分の表現力のなさに愕然とするが、タージマハルの頭部分の形状を言い表すならば、こんなところだろう。花岡山の山頂にはこの形状の頭部分が垣間見えるのだ!

この建物とは一体なんなのか?これはもしかしてタージマハルのミニチュア版が熊本にあるのではないか!その真相を確かめるべく、とんぐろは原付で山頂へと向かった…

 

 

続く。

 

半径2mの世界から〜言語学習の理由〜

どうも、今回ブログ初投稿、とんぐろです。

 

 

ブログ開設してもう1週間は経過してますが、いざ記事を書くとなると、まあ書くネタが何も出てこない!何を書こうかとネタ探しに苦労した結果、初投稿に結構時間食ってしまいました。いやあ、毎日記事を更新する芸能人ブロガーを「必死だな…」と半ば敬遠する自分がいましたが、改心しました、ブロガーのネタの引き出しってすごいんですね。

 

 

このブログを心待ちにしていた…という人はほぼ皆無だとは思いますが、このブログを日々の中で思いついたことをつらつらと書く場にしていく所存です。このブログを読んでくれるという心優しい方、どうかわたくしとんぐろのことを温かく見守ってくださいませ。

 

 

 

さて、初投稿のテーマは「言葉を学ぶ理由」で書こうかなと。

「おお、とんぐろよ、初投稿にしてはテーマが堅いなっ」なんて声が聞こえてきそうです。はい、とんぐろ自身、まさにその通りだと思いますな。

 

 

というのも、わたくしとんぐろ、いま韓国語を勉強しようとしてるんです。最近「ある理由」からふと思い立って、「そうだ京都行こう」並みの軽いノリで始めた次第なので、確固たる意志で韓国語を勉強してる人にとっては奇異に見えるかもしれません。

 

 

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韓国語を学習し始めたんだというのは、ブログを書くにあたってのネタ作りで始めたわけではないということをまずここで断っておきます。ブログを書くためだけに、言語学習をするほどネタ作りに焦っていたわけではないし、もしブログ作りのために韓国語を学ぶだなんて理由が浅はかすぎます。

 

 

そういえば、「俺、韓国語を勉強しだしたんだ」と周りの人に言うとどんな反応が返ってくるんだろうか…?ふとそんな疑問が脳裏をかすめた。「何で韓国語を学ぼうとしているの?」という質問がおそらく返ってくるでしょうねぇ。何でだろうね。そしてそもそも言語を学ぶ理由っていうのは一体何なのだろうか?ここ最近の文脈で言えば、言語学習の理由って、「グローバル化への対応」ってのが一般的な答えなのかもしれない。

 

www.toshin.com

 

日本人の英語力が世界的に見て低い!なんて叫ばれる状況が日本にはあるみたいで、ますますグローバル化していくいま、将来を担う子供達に英語力を、しかも世界に通用する英語力を身につけさせようと、官民が英語教育に力を入れまくっています。

 

 

子供の頃から英語の慣れさせておくことで、将来の世界市場で十分に戦っていける力を身につけさせること…言語を学ぶ理由、言い換えるならば、ここでは英語を学ぶ理由というのは、将来の自分のため?

 

 

英語学習への注目の集まりはいまや官民を巻き込んでいく状況…2020年度以降の大学入試改革なんかまさに英語学習への注目がこれまで以上に高まっていることの表れで、日本が英語力の上昇に躍起になっているんでしょう。

 

 

英語学習への「圧力」とも言える動きの中で、韓国語という言語に手を出そうとしたら、グローバル化が進みつつある昨今、ひょっとしたらこんな声(幻聴)が聞こえてきそうですな。

 

「なぜ英語じゃなくて韓国語なの?」

グローバル化が進んでいるなら英語学んだ方がいいでしょ。だって、海外旅行するにも、英語で通じる国が多いんだしさ、まずは英語やったほうが身のためでしょ?」

「就職活動するってんなら、英語勉強したほうがずっといいでしょ!海外展開する企業が多いんだし、ホラ、TOEICの点数なんか履歴書に書けるんだから、英語で企業にアピールすべきだろ!」

 

 

ふむ、そうかもしれない(上記のメッセージはあくまでもフィクションであり、トングロの幻聴です)。

 

 

つまり、グローバル化する現代において世界共通の言語は英語であるという事実はもう世界の前提であって、旅行、ビジネス、その他あらゆる局面で英語を使えたほうが個人にとってかなり有利に働く。だから、韓国語よりも英語を優先したほうがいいってことだね!お、おう…

 

 

ば、ば、バカヤロオォオッ!

 

と、私はこのメッセージに一石を投じましょう(まあ、このメッセージはあくまで私の耳元で囁かれた幻聴に過ぎません、「妄想」です)。世界の共通言語が英語化している現実がいま実際にあるんだと、それはそうだ、そうじゃないと、ここ最近の政府主導の教育界における英語政策はあり得ない。ここ最近、訪日観光客も2000万人を超える勢いらしいですし、日本国内でもあらゆる地域で日本人が英語を使わねばならない状況は生まれてくるのは必然。そして、日本人が海外に旅行する、もしくはビジネスで海外を相手にするとなれば、英語を使うなんて当たり前。否定なんか全くしません。

 

 

lite-ra.com

 

 上記の記事にある通り、英語学習の存在意義が全くないと言いたいわけでは全くありません。むしろ逆でしょう、英語を学ばざるを得ない環境に日本がますますなっていることは疑いようのない事実ですから。

 

 

でも、「グローバル化=英語」ってのは、納得しかねるものが。そもそも海外から日本に旅行に来る人は、「英語が話せて当然」なんですかね?「英語わからないけど、日本に興味あったから来た」という状況にある外国人たくさんいると思うし、この状況は日本人にも当てはまって、「英語わからないけど、この国に興味がある」といって海外旅行する日本人ってたくさんいるでしょう。このような状況の人が観光地でのパンフレットや展示物、案内板が英語だけで書かれていたら、

 

「なんて書いてあるの?」

「何かが英語で書かれていることは分かる」

「英語わからないのに、知りたいことが英語で書かれていてもねぇ…」

「母国語で書かれていたら一発で分かるのにな」

 

 

(まあ、これも私の幻聴であるのは事実ですが)

間違いなく私が海外のパンフレット見たらこう思います。英語が分かっている前提で、外国人向けの情報は英語で記載されることが往々にしてありますが、英語がわからない人にとっては、それは楔形文字と一緒です。ビジネスの場においてもそうでしょう、英語を使いこなせないビジネスマンがいても何ら不思議ではない。

 

 

こうした状況にある人が、海外で母国語を使って情報収集できたら、コミュニケーションできたなら…!あらゆる国籍を持つ人に合わせた言語に対応できること、これがグローバル化が進む現代において必要なことでしょう?

 

 

例えば日本を離れた海外の土地、中国としましょう、そこでは中国語がわからない上に英語もわからないとしたら…そんな時に日本語で現地のことがわかるパンフレット、案内板、パンフレットがあるならば?めちゃくちゃ嬉しいですよね!!

 

 

きっと、海外にいる人も全く同じ状況でしょう。私は英語を使えるよ、でも相手が英語を使いこなせる状況にないならば、いくら世界の共通言語が英語だったとしても、コミュニケーションは全く成り立たない。日本人には日本語で、中国人には中国語で、ドイツ人にはドイツ語で、スペイン語ではスペイン語で、様々な言語で対応できることがグローバル化が進む世界では必要なことで、何から何まで英語ってわけではない!

 

 

日本に旅行しにくる外国人、中国人に次いで韓国人が最も多いらしいですね。韓国は日本のお隣にある国ですから、一番手軽に海外旅行ができるからでしょう。さて、日本に来る韓国人はみんながみんな英語を話せるでしょうか?英語を使ってあらゆる情報を認識できるでしょうか?

 

 

なるほど、日本ではこうした状況を踏まえて、韓国語による案内がすでに様々な局面で用意されている。しかし、全てをカバーできているわけではない。このような状況にある韓国人の方に、韓国語で把握できる環境を整えてあげること、これこそがグローバル化しつつある日本に必要なことじゃないすか!!!

 

 

 

 

…フゥ、さて、ここで韓国語を学ぼうとしている理由について。

単なる私の幻聴から始まった、私の鼻息の荒い暑苦しい「グローバル化=英語」批判を前置きにして、「なぜ私は韓国語を勉強するのか?」について話したい。私は、韓国語を勉強する理由を打ち明けたいと思う。

 

 

 

普段日本語で会話している韓国人の友人が、俺が突然流暢に韓国語を話し出すことで、びっくりする、この瞬間に立ち会いたい

 

 

 

……

 

半径2mほどの射程範囲の狭い話に、みなさん驚きあきれたことでしょう。だって、これまで言語学習の理由がグローバル化に対応することにある昨今、そのグローバル化の前提が英語にあることに対して猛烈に批判していた奴が吐いた言葉がこれなんですからね。

 

 

普段日本語で会話している韓国人の友人が、俺が突然流暢に韓国語を話し出すことで、びっくりする、この瞬間に立ち会いたい

 

 

実は、とんぐろには、ネイティヴレベルに日本語を使いこなす韓国人の友人が2人います。1人はいま日本にいる同じ大学生、もう1人はドイツ留学していた時の下宿先での元ルームメイト。

 

 

彼らとは普段日本語でコミュニケーションをしていて、彼らと話していると驚くことに彼らが韓国人であることを忘れる瞬間があります。それほどまでに日本語を習得している彼らの日本語能力を高さに舌を巻くとともに、「〇〇人というような民族意識を超えて彼らと関係を築き上げることができる」ということに喜びを感じることがあります、マジで。

 

 

でも、なんか悔しいじゃないですか。

彼らは日本語を母語のように話せると同時に韓国語を母語としている。その一方で、とんぐろは韓国語が全くわからない。く、ぐやじいっ!

 

 

俺も韓国語で彼らと話したい!

 

 

つまるところ、私が韓国語を学ぼうとする理由は、彼らと同等の立場になりたい、そんな思いであって、何らグローバル社会なんて念頭にないということです。

 

 

半径2mの世界から、身近な外国人でありながらも国を超えたつながりを持つ彼らと、彼らの言語を使って話してみたい。というのも彼らを驚かせてみたいから、その一瞬の驚きから、今までのコミュニケーションに厚みと豊かさが生まれるだろうし、「あ、こいつ韓国語話すときはちょっと性格変わるな」なんていう予期せぬ発見もありうるかもしれませんな。

 

 

さっきまで話していた「グローバル化=英語」ではないという話、それは確かに私の意見ではあるけども、だからといってグローバル化する世界に対応するために外国語を学ぶってのは何だか息がつまる気がするんです。だから、どちらかというより、地球規模の世界じゃなくて、身近にいる彼らのために言語を勉強してみる、というのもありなのかもしれません。

 

 

え?じゃあ、今のとんぐろにはどれくらいの韓国語力があるかって?

 

 

ハングル1つも読めません。

 

 

まだまだとんぐろの韓国語の前途は長いみたいですな、ぼちぼち歩いていきます。

 

 

初投稿でした。現場からは以上です。